「女を捨てないおばさんはイタいの?」
「おばさんらしくしろ」
「年相応にしなよ」って言われると、
なんか自分の「女」って何だったんだっけ?って
思っちゃうこと、ありませんか?
今や街中で見かける「おばさん」は、
どれもこれも“おしゃれしない”か、
おしゃれしてるかの二極化。
でもよくよく考えてみてほしいんですよ、
あなた。
本当に「おばさんらしくする」って、
どういうことなの?
歳を重ねたら“女”を捨てなきゃいけないのか?
例えば、
ボサボサ髪にラフすぎる服装で過ごす毎日。
これが本当に「年相応」?
80歳になったら
そろそろ死ぬ歳ですから
白装束でも…が年相応?
確かに、無理に若作りする必要はない。
でも、やりすぎない「適度な力」を入れることが、人間じゃん。本能、煩悩、全開じゃん!
ブッダは捨てろって言うけど
空海ならそれごともってけ!つーね。
つまり自分の選択。
でも、「女を捨てた」って自信満々な人って、
実はすごく空っぽなことが多い気が
するんですよね。
空っぽつーか、他人の目にがんじがらめ
自分行方不明。
“服装や髪型に気を使わなくなった=心が楽になった”って思っているかもしれないけれど、
それって実はただ「見た目を投げ出した」だけじゃない?
「もういい年だから」とか言って、
他人と自分を比べるのをやめた瞬間、
その人はもう、
本当に自己肯定感を失った状態になってる。
これは結構ヤバい。
美意識や、ちょっとのオシャレ、
手を抜かないメイク。
それ、女としてのモチベーションを
人間の生きるモチベーションを
保つためにとても大事なのでは?
だからって、
若さにしがみつけ!って話じゃないんです。
ただ「諦めない」ことが大事。
“もうおばさんなんだから”って
開き直った結果、残ったのは、
「何もやらない人」になってしまった自分。
これほど虚しいことないよね。
最終的に残るのは、
自分自身がどれだけ楽しめるかなんだってことを、年齢関係なく大事にしたい。
自分を大切にするのは、
他人と比べることじゃなく、
自分がどんな「女」でいたいかを意識することが大事だよね。
女を捨ててるって言ってる人、最高に「おんな」だよ!
「私、もう女を捨てたから」って、
よく聞くフレーズですよね。
でも待って。
それ、実はめちゃくちゃ“女”っぽいんじゃない?
だって、
自分で「捨てた」って言うってことは、
今でも心の中で、自分の“女”を持ってるからこその自虐でしょ?
そう、まさにその“捨てた感”が、
女である証じゃないですか!
「女を捨てた」って言うあなた、最高におんなです!むしろ、捨てられるほど「持ってる」ってことだよ、それ。
おじさんたち、
ほんとにそれ言っていいの?
だって、
「女を捨てた」って言ってる人こそが、
自分を捨てた証拠。
気づいてる?
おじさんたち、歳をとったら、
“自分”に興味がない風にしてるくせに、
「なんか不安そう」「寂しそう」「若い子と話してみても全然気が合わない」って、
その時点で、
結局捨ててるのは自分じゃなく、
捨てられる勇気のないだけじゃん。
ほんとに「男の役割」放棄して、
“捨てた”んだねって、
内心、他人が見てるよね。
若い人へ:捨てない方が幸せだから!
若い子たち、そこは心配しないで。
捨てない方が幸せだから!
だって、若いからこそ、
将来“捨てた”って言う
自分に向かう未来が恐ろしいって
知っといた方がいい。
だって、捨てることが
“自分を諦める”ことじゃないからね?
若い時は、もちろん自己肯定感が強くても、
歳を重ねるごとに“守りに入る”んだよ、
知らなかった?
「女を捨てた」なんて言ってたら、
そのうち本当に自分を空っぽにしちゃうよ。
だからこそ、
無理に捨てないでねって言いたいんだよ。
捨てると「空っぽ」になるから、気をつけて!
結論:捨てる必要なんてないんですよ!
だって、年齢がどうだろうが、女は常に持ってていいものだから。
むしろ、「捨てた」って言ってる時点でまだ女を気にしてる証拠なんだから、無理に捨てることはない。捨てないで、自分らしく、ちょっと気を使いながらおしゃれを楽しむ方がよっぽど生き生きしてる。
そういう風に感じて、自分の持ってる「女」を大事にしたいと思うんです。
だって、人間だもの
-わらを