そう。トピックは
電光石火で現れた、ダラオ(仮名)
奇跡的にタイプ。
顔も雰囲気も声も、全部いい。
趣味は同じで話してくれる姿がかわいい。
顔なんてドストライクの菅田将暉みたいだった。
しかも、わたしに優しい。
普通に、普通以上に、優しい。
「…これは付き合いたい」
はじめてそう思った。
でも、私38、彼33。
若い。若すぎる。
そして私は、
恋愛に関しては偏差値35の自信皆無人間。
ダラオに誘われたタイフェス(代々木)を
「いいよいいよ(行かないよの意)」
って断ってしまったり
飲み会の帰りに、映画の趣味で盛り上がり
あれ、配信ないよねって言ったら
家にDVDあるよー、寄ってく?
と聞かれて
気が動転して帰ってきてしまった。
ほんとにもう、コミュニケーション不適合者。
その話で盛り上がって帰ってきたのだ。
大親友の恋愛偏差値10000万の恋愛の神に
何やってんだ!と叱咤されながら。
よく考えたら、7年付き合った元彼にも
「付き合って」って言われたとき、
「あははーなにいってんの〜」
って言ってスルーした。
恋愛、してたっていうより、
周りの人にやってもらってた。
でも、今回は違った。
変わりたいと思ってたから、
自分に手をかけた。
デパート女の子らしい服屋の前で
立ち尽くしたこともあったけど、
センス抜群の友人に頼って、
洋服スタイリングしてもらって
エステに通って
週に一度はセルフ顔マッサージ。
たるみ取りトレーニングも、
サボりながらも継続。
ダイエットして。
変わってきたのは、顔だけじゃなかった。
少しずつ、自分の扱いが丁寧になってきた。
服も下着も、自分のために選ぶようになった。
鏡に映る自分を「ま、いっか」
とは思わなくなった。
ある日、かつて私をフった男に偶然会った。
「あれ、なんかキレイになった?」
と声をかけられ、
その後、飲みに誘われた。
断ったら、こう言われた。
「ちょっとキレイになったからって、
調子のんなよ」
…あ、勝ったな、と思った。
顔じゃない。体重でもない(体重なら圧勝)
“私は私でOK”という芯ができてきた証拠だった。
その頃の私はというと、
肝心のダラオとは曖昧なまま、
何度も遊んでいた。
江ノ島に行って、
夜風に吹かれてたこせんべい食べて
キャンプ用品を2人で選んで、
山梨や千葉にドライブ。
普通に、楽しかった。楽しかったのに。
「付き合いたい」と言ったら
「形っている?今楽しいのに」
「なんでそんなに形にこだわるの?」
…うん、まあ、ろくでもない。
でも、どハマりした私がいた。
悲しいくらいに。
そのフラストレーションを埋めたくて、
他の人とも会った。3人、4人。
軽くご飯行ったり、
散歩したり、深くも浅くもなく。
驚いたことに、
今までただの“おもろい人”で終わってた私が、
恋愛対象として見られるようになってた。
コンビニの店員の態度も変わった。
「ありがとー!」って言うだけで、
なんか、向こうの目が違う。
友達だと思って行った飲み会が、
デートだった。
この後、どうする?ってきかれて初めて
え?そんな感じ?ってなった。
女として扱われることが増えたことで、
私はようやく、
自分を“女として”見るようになった。
鏡の中の私に向かって、
「まだ、いけるやん」って思えた。
そしたら、ふと気づいた。
あれ、ダラオって、
そんなにいい男だったっけ?
その頃には、僭越ながら、
15歳年下の彼ができつつあった。
というか、真剣に考えて欲しいて言われてた。
付き合うかどうかはさておき、
「私の人生、まだ続くんだな」と思えた。
恋をしたからキレイになったのか
キレイになったから目が覚めたのか
…その順番は正直わからない。
でもひとつだけ、確信しているのは――
中年でも、恋すりゃキレイになる。
でもそれは「男のため」じゃなくて、
自分をちゃんと
“扱い直した”ときに出るツヤなんだと思う。
恋も、顔も、人生も、
こじらせたっていい。
でも、こじれたまま、
諦めなくていい。
あの日、
朝帰りの鏡の中で見つけた“終わりかけの私”は
今、自分の中にいない。
それが、いちばんの成果だった。